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てくむ 2010年12月号

司祭のお話 てくむ 2010年12月号

700メートルの地の底で 

主任司祭 パウロ 小林 敬三

 先日、世界が大きな喜びに包まれる、ある一つの出来事があった。それは南米チリで、炭坑の落盤事故によって地下に閉じ込められていた33人の人々が無事、2ヶ月ぶりに全員助け出されたニュースだ。本当にうれしい、おめでたいことだと思う。
と同時に、こういうすばらしい出来事があると、同じ時代に自分が生まれ合わせた幸せを感じさせられる。
あの700メートル下の八方ふさがり。限界状況の修羅場ともなりうる場所で、なぜ一体33人もの人が、2ヶ月も生きながらえることができたのだろう。もちろん、地下まで穴を通して、カプセルで食料や医薬品を運べたというのが直接の第一の原因だ。しかしそれは表面的な部分だ。
 真実の理由は、やはりあのリーダーだと思う。彼のリーダーシップに、皆文句を言わずに従った。リーダーシップとは、ことに当たって冷静に現実を把握し、問題の本質を見抜き、物事の優先順位をつけ、皆を勇気と自制をもって統率すること。彼の意見を皆が聞いて納得して従った結果、全員無事に救出となった。
 特に落盤後の最初の17日間。地下に閉じ込められて外部との連絡が取れない時、リーダーはすぐ過去の体験から分析したそうだ。最初に連絡が取れるには、20日はかかるだろう、と。それまでは残されたわずかな水と食べ物を3日に一度だけ取るなど、彼は全員の生還のために厳しい決断をした。
 私はこの事態をずっと新聞で読んでいて、思わずあの有名な聖パウロの言葉を思い出した。
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(1コリント13・13)

信仰、希望、愛。これが私たちが人間として生きる時、一番根本的なことだ。
信仰。信ずるとは、「人偏(にんべん)に言葉」と書く。つまり人の言葉に信頼して自分を懸ける。彼らはリーダーの人格に、言葉に、懸けた。もしリーダーを信じなかったなら現場は混乱し、死の恐怖に襲われて、その結果どうなったかわからない。リーダーの「こうすれば助かるよ」という論理的な説明に、みんなが納得して懸けた、信じた。これはもちろん神様への信仰に通じていく。
 2番目に希望。みんな彼を信じて従っていけば、自分たちは救われるという希望だ。あらゆる状況から「これはムリだ」と絶望したなら、待っているのは死だ。でも「救われるにちがいない。彼がああいう風に自信をもって言っているのだから」という希望。これが彼らを励ました。
 3つ目、愛。「家族ともう一度会いたい」「愛するわが子と会いたい」。あるいは、通じたパイプを通して届く家族からの愛の手紙。「あ、また会える!生きていよう!」。勇気が出て、食べ物がわずかしかなくても、愛する人とまた会いたいという愛が、そのような自己犠牲を耐えさせた。忍耐させた。愛あればこその、救いの実現だ。
愛とは、あらゆることを忍耐させる。聖パウロの言う「信じること、希望すること、愛すること」が結果的にすばらしい結果を、無事全員救出という慶事を招いた。そういうことができるだろう。

人間生きる上でも、どれだけ「信仰、希望、愛」ということが大切であるかを改めて思った。そして、それほど大事な「信仰、希望、愛」のすべてを覆い包むもの。あるいはその大根本になること、前提になること。それは「祈り」であり、祈りの先にある神様の存在である。
 南米チリでの見事な解決のニュースに大変うれしく思った。そして人を信じることの大切さを知った。それは神様を信じる信仰に通じている。「信仰、希望、愛」。この大切さを改めて知ると同時に、私たちは日ごといっそう祈りに励み、毎日の豊かな祈りのうちに、神様への信仰、希望、愛を深めて、新しい年を迎えたい。