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てくむ 2009年8月号

司祭のお話 てくむ 2009年8月号

ハンカチの黴菌(バイキン)

主任司祭 小林敬三

 私は東京にあるいくつかのカトリック幼稚園を束ねる学校法人の理事もしている。最近その理事会に出席した。理事長のほか5人の理事。そのほか立会人として監事が参加した。経済界のご出身で、その立場からの貴重な意見を時々言って下さる。

「幼稚園では子供たちは水道で手を洗い、ハンカチで手を拭く。いまの世の中、手を出せばセンサーが感知して水を出し、乾燥機の熱風で手を乾かすのが世の趨勢だ。ハンカチには黴菌があるし、インフルエンザのこともある。幼稚園時代から早く慣れさせた方がよい。そういう装置に変えたらどうか」

 

 私はすかさず「反対」という表明をした。理由は二つある。まず一つは私たちの人生の原則と考えてもいいが、「なにかを取れば、なにかを捨てなければならない」ということだ。
戦後日本は経済が発展し、私たちの生活も便利で快適になった。しかしそのために失ったものも沢山ある。人間の歴史において、未来を正確に予測できる者は誰もいない。人間の生きて行くために必要な水資源もいつどこで枯渇するか分からない。手洗いや乾燥機で菌を避けるのに電気エネルギーを用いるのは、私にはどうもピンとこない。その便利さには必ずなんらかの形でマイナス面のツケがまわってくるのではないか、そういう危惧だ。
 二つ目の理由は、カトリックの教育観あるいは信仰という観点から見てである。教育の目的は、「自立」にある。どのような状況になっても、ひとりで困難を乗り切って生きて行かれるようにすることだ。なぜなら人生とは元来サバイバルゲームみたいな面もあるからだ。


  世界のいたる所に、子どもが生きていく上で便利さとか快適さからほど遠い現実がある。以前訪れたインドの片田舎では、5歳の子供が朝4時半に起きてすぐ、6キロも離れた所に水汲みに行き、家族が生きるための重い水を運んでくる。決して生易しい労働ではないはずである。でもその子は、「生きるとは、誰に取っても大変なことなんだ」という事実を身体全体で学び取り、結果的に人生の最悪の事態に備えることを学んでいるのである。

 

 自動乾燥機、便利なものにあまり振り回されない方がいいのではないか。地道に手を洗い、ハンカチで手を拭く。これこそ大切ではないか。ハンカチの黴菌という危険から隔離するのではなく、黴菌という困難にあっても負けない、栄養をとって体を鍛えて免疫力をつけ、その困難を乗り越えて行く。そういう体力のある人間を作ることに努めるべきではないか。危険を避けるのでなく、危険を乗り越える力を持ったたくましい子どもに育てることが大切だ。
  これは信仰の目的にも相通ずるものがある。それは困難を避け、困難から隔離されることが信仰なのではなく、どのような困難に出会っても、くじけず、それに立ち向かい、勇気をもってそれを乗り越えて行く。そこに私たちの信仰の大事な部分がある。