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てくむ 2009年3月号

司祭のお話 てくむ 2009年3月号

神の恩情-列福式とカラオケ-

主任司祭 小林敬三

 昨年11月、いまから約400年前、キリストを信じるが故に命を落とされた188人の殉教者の列福式が長崎で行われた。日本の教会の歴史に残る非常に感動的な式だった。
列福式開催の発表は、半年以上前の3月にあった。すぐ私たちの教会では希望者を募り、巡礼団を作ると40人が集まった。大人数での旅行なので企画などは旅行会社に一任した。
  出発当日羽田に集まり、飛行機で九州・福岡に飛んで平戸までバスで行った。その後、上五島へ船で渡り、教会群を巡って、最後に長崎市における列福式に参列する、合計4泊5日のコースだった。
  ふだんの物見遊山の旅行団とは訳が違う。神様への信仰故に、その尊い命を落とした先輩の聖なる方々の列福式に参加する旅行団だ。毎日全員、朝夕の祈りを力強く声をあわせて行った。それはある時はバスの中であったり、ホテルのロビーですることもあった。まことに列福式巡礼団らしい雰囲気があったと思う。 ところが、予想外のある一つの出来事が起きた。到着した最初の夜、平戸のホテルでのことだ。夕食を終えてホッとしていたら、突然添乗員の若い女性が立ち上がり、発表した。
  「今夜の計画を申します。これからお隣りの大ホールでカラオケ大会です」
  カラオケ大会?! 殉教者の列福式にカラオケはないだろう。私は「ハッ」と思い、しかしすぐ団長として「はい、わかりました」。
  なぜなら相手の手配やホールの準備のこともある。世の中は、まま理屈通りにはならないもの、時には割り切らねばならない。このとき、直前に思い出した言葉「もっと気楽に、もっと自由に!」に励まされてOKした。
  さて、大ホールには舞台があって、歌う人は舞台上でマイクを握る。他の団体も入って来て、まさにマイク争奪戦だ。私たちの教会の順がまわってきた。すると巡礼団のみなさんが、私に「歌え、歌え」と言う。そこで私はかの有名な『長崎の鐘』を歌った。
  会も終わりに近づいて、司会者が言った。
  「ただいまから、出場者の中から優勝した人に、優勝の賞状と記念品を差し上げます」
  舞台の上では3人の審査員が誰にするか、もめてるようだ。そのうち司会者が発表した。
  「優勝は、コバヤシケイゾウさんです」
  私は感動した。なぜなら生まれて70年このかた、人から賞状をもらったことがない。どういう形であれ、もらえたわけで、列福式の前に自分が列福されたような気分になった。本当に嬉しかった。
  ところが、このあと困ったことが起きた。そんなに喜ぶことではないという事実を知ってしまったのだ。まず一つに、優勝したのは、全何人の出場者中の一人かということだ。出場者は100人でも80人でも、50人でもない。全出場者3人の中の優勝だ。
二つ目に、優勝決定の理由だ。誰を優勝者にするか、舞台上の審査員の声をここの教会の信者が聞いてしまって、私に告げてくれた
  「一番人数の多い団体の引率者だから、仕方ないだろう」
  つまり実力があって優勝したのではない。あの団体の引率者だから、やむを得ない。やらぬわけにはいかない。憐れみの恩情から優勝の栄によくしたに過ぎないのだった。
  聖パウロは言う。


  「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学なる者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なる者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」

 

(1コリント1・26ー29)

  元来ふさわしくないのに、否、ふさわしくないからこそ、神から選ばれ、キリストの弟子とさせて戴き、いま司祭の道を歩まさせて戴いているのだ。この神の恩情に感謝以外になにもないではないか。