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てくむ 2008年10月号

司祭のお話 てくむ 2008年10月号

病気で入院、そしてヨブ記

主任司祭 小林敬三

 病院に二泊三日、入院してきた。なんと、腎臓に石ができていたのだ。石は血液中のカルシウム等が固まって石灰化し、それが1cm程の大きさになって、おなかの中を動く際、キリキリと非常な腹痛が起こる。昔はメスで切って取り出したのが、今は医療技術の進歩で、特別なベッドに寝て超音波の体外衝撃波を与えて石を砕くという。

 ベッドに寝かされ、衝撃波をおなか全体に約1時間打ち続けられた。「終わりました」、医師の宣告があった。痛みに耐えていた私はホッとして、
  「ところで、どうでしたか、石は?」
と質問した。すると、
  「変形しただけで、ダメでした」
  忙しい中時間を割いて三日間も入院して、特にこの1時間の苦しみも水の泡だったわけだ。

 さて、「だめでした」と言われたら、普通はどう思うだろう? がっかりしたり、イライラしたり、ひょっとしたら人によったら「神も仏も......」という言葉も、あるいは出てくるかも知れない。
  ところが私は、すぐ口に出たのは、
  「神に賛美、神に感謝!」
  失敗したのに、そういう言葉が言えた。なぜなら「だめでした」と聞いた時、とっさに旧約聖書『ヨブ記』を思い出したからだ。
  ご存知の通り『ヨブ記』は、ヨブという一人の人間の話で、わずか42章の短い文章にも関わらず、「世界最大の文学」とも称される、有名な物語だ。

 ヨブは行い正しい、信仰深い男だった。そこで神様はある時、サタン(悪魔)に誇らしげに言った。
  「見ろ、あのヨブを。実に行いが正しく、信仰深いだろう」
  すると悪魔は言った。
  「ちょっとお待ち下さい。ヨブが信仰深いのは、あらゆる幸せをあなたから得てるからですよ」
  本当にヨブはしあわせだった。彼は富豪で沢山の家畜を持ち、10人の子供もみな結婚してしあわせな家庭を築いていた。彼は子供たちの家庭に毎日順番に宴会によばれ、人として非の打ち所がなく、この世でのしあわせを得ていた。だから悪魔は言う。
  「神よ、それらを一切ヨブから奪えば、必ずヨブはあなたを呪いますよ」
  そこで神様は、ヨブを試みる。大風で家を倒し、子供たちは全員、家につぶされて死んだ。雷で家畜も殺され、財産をすべて失った。それだけでなく、健康そのもののヨブは全身皮膚病にかかり、そのかゆさと苦しさにヨブはのたうちまわる。
  しかしヨブは立ち上がり、神を賛美する。あの有名な言葉だ。

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」

(ヨブ記1・21)

 私たちはとかく、なにか良いことがあった時、しあわせを感じた時、神様を賛美し、神様に感謝し、神様に礼拝を捧げる。しかし一体、それだけでいいのか、というのが『ヨブ記』だ。『ヨブ記』の本質は、<真の礼拝とはなにか>ということだ。
  幸いの時も不幸の時も、心やすらかな時も苦しみ不幸に陥った時も、そういうことに関係なく、神様はいつも神様だということだ。

 入院して三日経って、「だめでした。石が取り出せませんでした」と言われた時、「神に賛美、神に感謝」と言うことができたのも『ヨブ記』のおかげの所以(ゆえん)である。ヨブの言葉を日常の言葉としたい。

 「主与え、主取り去り給う。主の御名は誉むべきかな」(文語)