トップ >  信者の方へ >  司祭のお話 > 

てくむ 2008年6月号

司祭のお話 てくむ 2008年6月号

要するに大したことではない。
    -- もっと陽気に、もっと気楽に! --

主任司祭 小林敬三

 東京へは、私はふだんクルマで行くが、数日前たまたま電車で行った。すると、ちょっと混んだ車内でビックリすることが起きた。なんと、

 「おじいさん、どうぞおすわり下さい」

 席をゆずられたのである。初めての体験だった。しかも譲って下さった方は、どう見ても私より年上だ。ちょっと引っ掛かるものがあったが、次の瞬間、

 「ありがとうございます」

 お礼を言って、すなおに座った。理由は二つある。一つは、相手の善意を大事にしなければいけない、ということだ。「いや、けっこう」と、妙なプライドから断ったなら、相手は立場を失うはずだ。
もう一つは、若い時に何度も繰り返し読んだ本の影響だろう。これは私の生まれた年、70年前の我が国のベストセラーで、当時の題名は『生活の発見』。(改題して『人生をいかに生きるか』講談社学術文庫。絶版)。著者は、当時の中国の北京大学教授の林語堂(りんごどう)。民族間の考え方や行動の仕方の違いなどが詳しく書かれていて、人間を学ぶために有益な本だった。
例えば林氏は、彼特有の比喩を用いて、日本人と中国人を比較している。山の両端からトンネルを掘ると、日本人は技術力もすごく、そしてまじめだから正確に穴がつながり、1本のトンネルが開通する。
ところが中国人のトンネルは両端から掘って行って、出会うどころか、お互いに行き違ってしまう。すると中国人は、泰然と答えるそうだ。「2本できても、いいじゃないか。大した事ではない」。

 私たちはふだん生活していて、しばしば心かき乱され、意気消沈し、落ち込むことがある。超え難い扉に突き当たることがある。しかし、人生で大事だと思っている事が、このように角度を変えて見たならば、実はたいして大事でないことが多いのではないか。もっと気楽に、もっと陽気に見たなら、難問は解決されるのではないか。

    「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」(ヨハネ14・16ー17)

 聖霊とは、私たちの汚れた所を清めて下さる霊。渇いた心を潤して下さる霊。傷つけられた心を癒して下さる霊。そして冷たくなった心を温めて下さる霊であり、曲がった心を真直ぐにして下さる霊だ。
復活された主イエスに出会った弟子たちは、その出会いによって勇気を戴き、さらに聖霊の働きを受けて導かれ、全世界に散って行った。復活した主を述べ伝えるためだ。しかしその多くの者がやがて殉教していく。キリストを信じるが故に、復活した主を伝えるが故に、結果的に命を落とすのである。
この世の命は確かに尊く、そして価値あるものだ。しかし永遠の命に比べて、この世の命は、ある意味で、要するに大したものではない。弟子たちはそのことが分かっていたからこそ、復活された主を述べ伝えるために、よろこんで、自分の命を落とすこともいとわず、世界に散って行ったのである。

 私たちの毎日は生活は山あり谷ありの連続である。しかし、「大した事でないことは、要するに大した事ではない」。そうピッチリ見分けながら、本当に大事なことを大事な事として生きていこう。「おじいさん、どうぞおすわり下さい」。そうだ。老人になったのだから、年寄りと見られただけのこと。要するに大したことではない。もっと気楽に、もっと陽気に! いつも天を仰ぎ、創造主に賛美を捧げながら歩んで行こう。