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てくむ 2007年5月号

司祭のお話 てくむ 2007年5月号

ダ・ヴィンチの「受胎告知」がやってきた
   - 聖母月に寄せて -

主任司祭 小林敬三

 5月は聖母月である。古来カトリック教会では、この月を「聖母月」と称し、主イエスの母マリアの信仰と聖徳を、特に思い起こす月としてきた。またそれに伴い、聖母の取り次ぎを願う信心業も各地で行われてきた。

 時あたかも、いま上野の美術館ではレオナルド・ダ・ヴィンチの名作「受胎告知」が展示され、多くの人々の話題を集めている。しかし、聖母マリアの存在の意味、信仰のすばらしさを論ずるというより、大方は芸術作品としての技法や価値の点からであろう。

 教会は長年聖母マリアに対し、なぜ特別の崇敬を表してきたのだろうか。それはもちろん、ルカ福音書1章に記されている通りである。ガリラヤ地方のナザレの地に住む一人のおとめの所に、ある日天使が遣わされた。

 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と挨拶し、「あなたはみごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方と言われる・・・」。マリアは「男を知らないのに・・・」といぶかるが、それが神のご意志と分かると、「わたしは主のはしためです。お言葉のどおり、この身に成りますように」と、全存在をあげて神のご計画を受け入れた。自分の望みではなく、なにより神のご意志を尊重したマリアの信仰と謙遜こそ、我々人間誰もが学ぶべき、神への信仰態度なのである。
また、この受諾があったからこそ、マリアはその胎に神の御独り子を宿すという信じられぬ栄光を担うことになった。神の人類の救いの計画に、最大最高に協力した人間こそ、マリアだったのである。

 主イエスの母になられたことは、マリアにとり決して盲目的運命の結果でもなければ、神の無理強いでもなかった。人間マリアの全き自由意志による協力である。ここに、カトリックの人間観の本質がある。彼女の信仰と聖徳こそ、我々が常に仰ぎ讃えねばならない、学ぶべき人としての姿なのである。

 5月の聖母月の由来は千何百年も昔の教会の歴史にさかのぼる。キリスト教が初めて入った頃は、ローマでは異教の神々が拝まれていた。そして5月は「女神の月」とされていた。カトリック教会の伝統は福音をある国に述べ伝えると、その国の文化習俗を頭から否定するのでなく、却ってそれらにキリスト教的意味を与える。キリスト教化してしまうのである。
聖母マリアは決して女神でなく、あくまでも一人間である。しかしその信仰と謙遜とは、永遠に我々が常に崇め、敬うべきものなのである。「女神の月」を「聖母の月」と変えた理由である。「恵まれた方」マリアは、主イエスを生んだ、尊い救い主イエスの母である。だから、ある意味で我々の母だし、教会の母とも言えるだろう。5月を聖母月としてきた伝統も、当然と言えよう。

 わが西千葉教会は、その聖母マリアを保護の聖人とする教会である。聖母月のこの月をお互いに祈りのうちに改めて大切にしたい。